昨今、ソーシャルディスタンスという言葉が話題です。和訳すると「社会的距離」となり、どうもピンとこないという方が多いようです。
英語でいう「ソーシャル」とその和訳である「社会」、そして「社会」という言葉の持つ語感のずれがソーシャルディスタンスという言葉がしっくりこない原因だと思いますので、少しだけ書き残しておこうと思いました。(これは、ソーシャルメディア、ソーシャルスキル、社会構成主義などについても等しく言えることで、かつこれらの言葉が日本に馴染みにくい理由だと思っています。)
ソーシャルの意味は「人と人の間」のことです。今回のコラムの内容は、これでほぼ終わりです。乱暴かもしれませんが、ソーシャルディスタンスとは、人と人の間の距離のこと、ソーシャルスキルとは、人と人の間で必要とされるスキル、ソーシャルメディアは、人と人の間をつなぐメディア、社会構成主義とは、ヒトとヒトの間で意味が決まることです。
人間という言葉があります。これは、にんげんではなく、じんかんと読むのですが、ヒトとヒトの間のことです。この関係性、じんかんの中にヒトは存在する。だから「にんげん」というのですが、じんかんには人の住んでいる世界、すなわち社会という意味もあるんですね。これが多分、ソーシャルが社会と読み替えられた背景ではないでしょうか(日本特有の「和」と絡むところもあると思います。)。ソーシャル→人と人の間→じんかん→にんげん→人間社会→社会という読み替えでしょうか。
ここまで書いて、「世間とは何か」や「空気の研究」という本を昔読んだことを思い出しました。手元にないので、原典に当たれないのですが、世間や社会の違い、社会に生まれる空気感についてはそのあたりの本に書いてあったようにも記憶しています。
こうした「ソーシャルディスタンス」、つまり人と人の距離の遠さが尊ばれるというのは、人間の本能に逆らう感じもあり、持論としては本能に逆らうものは長続きしないと思っておりますが、今回ソーシャルディスタンスに関するリリースを行うにあたって、補足として「ソーシャル」について書いておきたいと思いました。
公開日: 2020年6月21日