前回は「わかりそうでわからない”共感”について(前)」ということで、
- 認知的エンパシー
- 情動的エンパシー
について書きました。
共感的関心とは
前回紹介した2つのエンパシーは、人の内側の感情についてでした。
しかし、感情は人の内側だけで完結しません。
コミュニケーションは人と人の間にあるものです。
なので、間についても注目すると面白いことが分かります。
この「間」にあるものが「共感的関心(Empathic Concern)」です。
これは厳密には「エンパシー(共感)」ではありません。
あくまでも「共感的(Empathic)」な「関心」です。
このため、共感に含めて良いのかわかりにくいですが、
人の内側(つまり他者から発信された感情を自分の中でどのように処理するか)に関するものとは異なり、
自分から能動的に「相手が自分に求めていること」を理解することが共感的関心です。
「他者に関心を集中するのが上手な経営者は、はたからみてすぐにそうとわかる」という言葉の本質はここにあります。
2者間であれば、「相手の意図を理解しましょう」といった、洞察の話になります。
(これは、当社でいえば「それいけ!ソンタック」が扱っている領域です。)
コミュニケーションは2者間だけではありません。対多のコミュニケーションもあります。
経営者の場合、組織の全メンバーがどのような期待をしているかというアンテナを張り巡らせ、その感情を捉え、理解する必要があるようです。
周囲に対するセンサーのようなものだと思います。
ここでも前回と同じように、「相手が自分に求めていること」が分かる、とそれを表現できているの二種がありそうです。
表現するまで加わってくると大変です。
共感疲労という言葉もあるようで、共感に疲れると一周回って「わかっている✕表現できていない」のスタイルになるのかもしれません。
エンパシーからくる「意思決定」とは
ダニエル・ゴールマンがダライ・ラマと話したことを聞き取った「ダライ・ラマがEIについてダニエル・ゴールマンに語ったこと」が巻末に書いてありました。
ここで記載されている「エンパシー」と「慈悲(mercy)」の概念の差がとても興味深かったので書いておきたいと思います。
ここまでで書いた通り、エンパシーは他者の感情をどのように受信し、理解し、表現するかです。
ただし、エンパシーを表現したら相手が救われるかというと、そういうわけではありません。
「慈悲」は個人の中で終わりません。エンパシーで受信し、理解し、表現します。
慈悲は、更に一歩「何かをしてあげよう」と「手を差し伸べることを決める」ことです。
この慈悲の気持ちが具体的な行動となって現れてくると、それがエドガー・シャインらの「支援学」などにつながっていくのではないかと思いました。
このように行動することを意思決定することは、感情とは別概念として切り分けられるというのは個人的に大きな学びでした。
わたしたちもマネジメント研修などを扱う上で、部下支援などに携わる機会がありますが、
部下支援は支援ですからその前提となっている慈悲、更にはその手前の共感を育むことが必要となります。
ここに目を向けられたという点で、非常に学びの深い本でした。
公開日: 2020年3月6日