仕事の成果は段取りで決まる
働き方改革関連法が成立し、2019年4月より施行される。仕事の成果は効率×時間数で決まる。人口減少社会に加えて、残業の規制が強まる環境ではこれまでと同じような総労働時間の確保は難しくなる。となると、成果を維持するために、仕事を効率よく進める方向への努力がこれまで以上に求められるようになるだろう。
一方、社内外を見渡すと、仕事のやり直しや修正、ゴールの握りの不足を原因とした段取りの悪さによる非効率は溢れているし、段取りは経験的に学ぶものと思われていて、指導する側も段取りに関する適切な言葉を持っていない。このため、指導がままならず、効率が上がらない環境があるように思う。
段取りは、狭義のプロジェクトマネジメントである。情報システムや建設などの日々、プロジェクトマネジメントを行う業界では、プロジェクトマネジメントの方法が体系的にまとまっていて、仕事がある程度システマチックに進められているが、そうではない業界の、特に営業やバックオフィスでプロジェクトマネジメントの考え方が仕事に適用されているかというと、まだまだ遅れているだろう。
当社にとって切実な「段取りスキル」
「段取りチキン」は、段取りを学習する簡易なワークであり、今回も当社内の問題意識から開発された。当社のような比較的アーリーステージの会社には全般的に言えるのかもしれないが、業務の幅が広く、ビジネスに関する広範な知識を習得したメンバーが歌って踊りながら働くマルチプレイヤーであることが求められる。かつてはそれを全メンバーに求めていたが、中途中心ではなく、若手メンバーが増えてくると、難しいところもあった。規模の拡大に伴い、木を見て森を見ずになってしまわないかという不安もあったが、組織のあり方を大きく見直し、案件ごとにプロジェクトを組成し、回す方針に昨年から切り替えた。これによって、膨大なテクニカルスキルを覚えなくても、各自が強みを活かしながら、早期に戦力として活躍できるようになってきた。小規模企業では、多能工が求められるというのはよくある話だが、多能工化をある意味で捨て、分業に乗り出したのである。
ただ、プロジェクト化を通じてわかったことは、どのプロジェクトに参画する上でも共通して段取りのスキルが必要ということだ。段取り力が不足していると、どのプロジェクトでも等しく成果が出ない。つまり、段取りはあらゆる仕事のベーススキルなのである。
VUCAと言われる現在、仕事はプロジェクト化している。ルーチンワークは、AIや非正規社員の仕事になりつつあるし、働き方改革関連法にもあるような同一労働同一賃金が更に進むと、単純作業しかできない正社員は、非正規社員と同じ給与しかもらえなくなる。今後、ビジネスで結果を出すには、はじめて見た状況に対応するために、円滑な段取りをたてることが、最低限の要件になる。それができないと給与は上がらなくなっていく。こうしたホラーストーリーはありながらも、段取りスキルの習得は難しくなく、極めて即効性が高い。
段取り力の向上は、当社の重要課題である。早急に手を打たなくてはならない。はて、当社は段取りの研修を何度か作ったことがあるが、それは使えないのか。そう思い、過去の段取りの研修を見たところ、「あるべき論」としては素晴らしい研修であった。業務経験がある人に、段取りを俯瞰してみてもらうには十分なものだった。ただ、若手に具体的なイメージをもたせる「べからず集」としては不足があった。「それいけ!ソンタック」のデザイナーズノートにも書いたが、人は「こうあるべき」では動かない。「これをしたらコケる 」「これをするとまずい」といった事例で人間の本能である「危険」に訴えかけなければ動かないのだ。
臆病な若手に挑戦を促すには
誤解を恐れずにいうと、年配者と比べて、若手は臆病(チキン)である。臆病者は挑戦を怖がるが、手取り足取り挑戦させるほど現場は暇ではないし、「見て学べ」では人財流動化の時代にそぐわず、挑戦も促せない。挑戦せずに、時間だけが経過すると、若手は職場というタンドールでじわじわと焼かれ、スパイシーな状態に陥り、エンプロイアビリティがない状態で、苦しむことになる。ゆでガエル現象のようなものだ。
では、どうすれば、臆病な状態を克服し、挑戦できるのだろうか。挑戦を促すには、自己効力感(セルフエフィカシー)の考え方でいう、「結果予期」が有効だと思っている。挑戦するには、勇気が必要だが、死地に無策で飛び込むのは蛮勇である。ある程度、こういう結果になるだろうということが分からなければ挑戦できない。つまり、「こういうことをやったら怒られるんだ。こうすれば成功するんだ。」を学べば良い。
顧客の求めるベタベタで粘度の高い事例
では、どのように学べば良いだろうか。長文のケーススタディでは、どれだけ時間があっても足らない。ここで「あるある事例」、特に失敗事例を集中的に学習させる方法を思いついた。当社で言えば、「イエナイヨ」型である。この手法は極めて効果的だ。超ショートな事例のシャワーを短時間で浴びるように学べば定着が促せる。更に、事例と紐づけ、知識を点としてではなく、関連領域の知識と併せて学ぶことで、点としての知識は系をなし、体系となる。
昨今、各社の人財開発部門を訪問して感じるのは、こうした事例による学習が求められていることだ。理論だけではなく、ベタベタで記憶に残る粘度を持つ事例を用いることで、研修の内容を頭の中で変換しなくても職場ですぐに使える形にすることが強く求められている。
当社で絶大な成果を発揮した「心構えマニュアル」とは?
効果がありそうだと思う理由が1つある。当社では「心構えマニュアル」というものをこの1年で整備しつつある。心構えマニュアルには、事例ではないが、インシデントが起こる度に、私がその場面を抽象化して書き落としたものが書いてある。結構なボリュームなのだが、これに手間ひまをかけるのは、採用の都度同じエラーが繰り返される出来事への指導にコアなメンバーの時間が取られており、これを軽減することは効率化につながるからだ。マニュアルを見れば、「どんな場面で、何を考えればよいか」がわかり、行動の質がぐっと変わる。これは行動科学の観点からも当然のことだ。
段取りができないと「理不尽さ」を感じる!?
当社の若手にインタビューしたところ、思っていたほど、段取りができない「原因」を認識していない。逆に、「自分がやりたい仕事を別な人に任された」とか「納期に間に合わず叱られた」とか、ネガティブフィードバックを受けた「結果」の印象が強い。そして、その結果に「理不尽さ」を感じて「怒り」の感情を覚えるそうだ。こうして他責にせざるを得ないのは、段取りの教育不足である。教育が足らないから自分へ帰結させる言葉がないのだ。私にとって大きな反省であるのと同様に、問題を抱える企業への処方箋にもなると思う。
ちなみに「理不尽さ」は、数年で解消されたそうだ。業務を経験すると、理不尽ではなく、当然だったことが、理解されるのだそうだ。ポジションチェンジによって学んだことは、こうすればうまくいくという方法論、つまり段取りである。段取りは、然るべき役割になればいずれ学べるのかもしれない。ただ、それを待てるほどビジネス環境はゆっくりしていない。
かつて「組織の理不尽さ」を理解する研修が欲しいという声に対し、「フレキシビリティ」というインプロ型の研修で対応していた。「理不尽さ」への対処は、メンタルヘルスや離職防止にもつながるが、理不尽さへ一定の理解を促す効果もあるだろう。
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公開日: 2019年2月3日