最近、会社の社会的責任が重要視されるようになってきています。
前回のコラムで失敗学のすすめの以下の部分を引用しました。
「大事なことは、ひとつには学ぶ人間が自分自身で実際に「痛い目」にあうこと、もうひとつは自分で体験しないまでも、人が「痛い目」に会った体験を正しい知識とともに伝えることです。「痛い話」というのは、「人が成功した話」よりもずっとよく聞き手の頭に入るものなのです。」
(文庫版 失敗学のすすめ)
これに加えて、もうひとつ引用をします。
「三大事故の話は、学生にとってははじめて聞く新鮮なものでも、これを伝える私には、毎年語っている繰り返し作業のようなものです。こちらがおざなりに伝えてしまうと、そうした思いは聞いている学生にも伝わってしまうので、その度に私自身、気持ちを入れ替えるようにしています。しかし、毎回のように同じ話をしなければいけないというのは、本当に根気のいる作業だと実感しています。同じ思いは、少なからず企業の管理担当者も感じているのではないでしょうか。徹底したマニュアル作りを行い、伝える内容が増えれば増えるほどに、この思いは募っていくように思います。
まして、その中身が体感、実感を伴わない退屈な知識ならば、教える側も教わる側も苦痛以外の何者でもないでしょう。」
(文庫版 失敗学のすすめ )
私自身、同じ研修は3度と出来ないタイプなので、この気持ちはよく分ります。
当初は創造的だった活動も、2回目からはルーチンですから、あとはどれだけ効率よくやるかに視点が移ってしまいます。
効率を求めたら、そのスタンスは参加者に伝わるものです。
また、経験を積めば積むほど、大切であればあるほど、伝えなければいけない項目がヌケモレなくなりますので、教える分量はどんどん多くなっていきます。
これがマニュアル化されて、作成者以外に渡ったとき、この研修からは魂が抜けてしまい、壮大なルーチン作業になるのです。
このルーチン化を防ぐためには、「体感・実感を伴わない」という条件を外してあげるとよいと思います。
つまり、体感・実感を伴わせることで、退屈な知識の伝承という苦痛から逃れられるのです。
弊社のビジネスゲームを「CSR研修」として導入している企業があります。
最後にどんでん返しがあって、とある行動をしていたチームには、ペナルティがあるのですが、これは自らの失敗体験もしくは他者の失敗体験(明日は我が身)を痛感できるいい機会だと思います。
ビジネスゲームをCSR研修として使うのは本質的だなぁと感じています。
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公開日: 2009年3月10日